.265

264< Index // Hinden5-TOP >>266

 

030408-Tuesday
文左衛門のはなし

 どうも調子がわるくて。昼間から酒を飲んでよく眠った。夜からはいつぞやパンの実の缶詰と一緒に買ったジャマイカの調味料があまっていたので鶏肉に塗ってオーブンで丸焼いて、また明け方にかけて酒を飲みながら「元禄御畳奉行の日記」(中公新書)を読了。

 井原西鶴、松尾芭蕉、市川団十郎、菱川師宣、尾形光琳…といった名前に代表される元禄文化が花開いた17世紀末。関ヶ原からは1世紀、最後の戦いとなった島原の乱からも50年。すっかり太平の世となった元禄時代に尾張名古屋の下級武士として生きた朝日文左衛門重章の日記だ。

 まず文左衛門の仕事、御畳奉行なんて聞いたことがないと思うけれど、これが畳の新造や調査などして管理するだけの役職なのだ。しかも部下までついてるのでほとんど文左衛門には仕事がない。もはや戦闘要員もいらず行政しかやることがないので武士の数より仕事の数がずっと少ない時代なのだ。
 仲間の武士も暇をどうつぶすのかに苦労するありさまで。武功をたてることで出世をしてきた朝日家だけれど、この文左衛門に至ってはあちこちの道場に入門してはすぐにやめるといった軟弱ぶり。居合いを始めたはいいけれど、ある日、首を斬られた罪人の胴が試し切り用に道場に回ってきて、斬りつけたまでは調子よかったが、その晩御飯にお刺身を食べながら切り口を思いだして気持ち悪くなる始末。そして道場に足を運ばなくなる。そんな情けない姿をご先祖様がみたら嘆くと思うけれど、まあこの彼で事実上は朝日家の末代となる。

 稀代の悪法、生類哀れみの令がでたのもちょうどこの頃。江戸では蚊を叩けば隠居、鳥を撃てば切腹という騒ぎだったらしいけれど。我らが文左衛門はちゃんと毎日のように魚釣りに行っている。尾張名古屋でそれだから日本全国、そんなに真面目に綱吉につき合っていたわけじゃないんだ、とこれで教科書ではわからない実態がみえてくる。
 武道はものにならず、好きな芝居小屋にこっそり通いつめ、ときどき詩歌など日記にしたためてはご満悦。いい歳してのんきなものなのだ。まあ、あまりひとのことはいえないんだけど…。
 花嫁が来た日の晩だというのに婚礼のメニューをぜんぶ日記にメモしていたり、心中事件があれば現場に駆け付け頼まれてもない検分を勝手にはじめ、火事になれば松の大木に仲間と登り、うわさ話を詳細に聞きとる。文左衛門、ぜんぜん仕事してる話が日記にでてこないぞ。

 この時代はワイドショーも週刊誌もないので人はうわさ話がニュースがわりだ。その内容といえば偽殿様が現れて呉服屋を騙したり、本物より質のいい貨幣を偽造して斬られた親子、参勤交代の時期には浮気事件が頻発し、弱気な亭主が問いつめられずになぜか自分の腹を切ったり、別れたい女を妖怪と勘違いしたふりをして斬り捨てる坊主がいたり。考えればいまのヤフーニュースとほとんどかわらない。たぶん古今東西のニュースはいつだって同じようなものなのだろう。
 こうして文左衛門の日記を読んでいると花の元禄バブルも徐々に不景気が襲いかかり、下級武士の中には物乞いに身をやつす同僚もでてくるなど。教科書に言われるような華やかさだけではなく貧しさも入り交じってくる元禄時代の様子が庶民の視点から浮かび上がってくる。商人が力を持ち、権力とくっついて金権主義が横行する感じもちょうどいまの時代に重なるところがあるのだ。商人や藩のお金で遊ぶ武士は社用族みたいなものだし、近松門左衛門と心中事件が若者にはやったり、あまりに事件が多いので心中物の売買が禁止されるあたりなんて、妙な自殺が流行って、完全自殺マニュアルや出会い系サイトに規制がかかるのに似てなくもない。

 文左衛門の日記は全部で37冊。これがどうしたことか焼き捨てられることもなく名古屋城、藩庫の奥深くに眠っていたという。これを上手に解説してくれる神坂次郎さんの腕前もあって、本当に文左衛門という武士の一生が伝わってきてなんだか滑稽で愛おしくなってくる。好きなことに明け暮れた男の、まあまあしあわせな一生だとは思うけれど、長年の酒毒がまわってとうとうあんなに書くのが好きだった日記が絶筆してしまったときは切なくなってしまった。300年の昔の話だけど、友達になりたかったな。

264< Index // Hinden5-TOP >>266

シルチョフ・ムサボリスキー
shasho-san@hinden5.com
(C)2003,Silchov Musaborizky,All rights reserved.