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030427-Sunday
犬小屋不正利用罪

そんな気持ちは鎖につなぎとめて
犬小屋にでもいれておけばいいのさ。
(営業マン1:当社の犬小屋。ワンダードッグハウスDXには
 およそつなぎ止められないものはありません。)
犬の寿命よりも生き長らえるものがあったら
そいつをみせてもらいたいものだ。
おう、なにしてんだ。 さっさと芽のうちに摘んでこいよ。
自分一人じゃ引き抜けなくなる日が来るだろ。
それが明日の朝なんだよ。わかるんだよ。俺には。

 行儀よくしてください。どうぞ猿がみていますから。 …エリック・サティ

 

030426-Saturday
リングに駆けろ

 ポン・デ・リングのあまりの喉ごしの気持ちよさに、またミスドはいれちゃいけないものを混ぜたんじゃないか。それでもいいや、とあぐあぐ食べていたけれど。トレイに敷かれた紙をみたらタピオカ粉を混ぜていると白状していた。ほう。
 タピオカ粉とはキャッサバと呼ばれる芋の澱粉のこと。キャッサバは南米からアフリカ、東南アジアまで暑いとこで広く食用にされる食物だ。なんて帰宅して調べていたらそのモチモチ芋でできたコロッケを発見してしまった! ふえー、おいしそうだな。

 

030425-Friday
カメラが欲しいような欲しくないような。

 

 一眼レフタイプのデジカメをはじめて触った。ポケットサイズの玩具デジカメしかずっと知らないままでいればよかった。もう、駄目。気持ちよくて仕方ない。18歳の誕生日、パパに買ってもらったスカイラインGTRのアクセルをはじめて踏んだ瞬間を思い出した。気がする。
 ファイダーを覗いてシャッターに指をかけると一瞬で合焦し、それがプリズムを使ってファインダー内にも反映されるのだ。そんなことも知らなかった。いままでファインダーだといわれて一生懸命覗いていたのはカメラの左上にあいた穴だったのか。なによりシャッターを切った瞬間に響く手応えの気持ちよさったらない。どんどん連写しても書き込みがついてくる。こんな気持ちがいいなら写真なんて撮れてなくてもいい。これがただの気持ちいいボックスだとしても欲しい。実際、20万円もするのにレンズもついてないし…。

 とても買えない。仮に財力があっても持ち歩く体力がない。仮に体力があってもこんな黒くて大きなものを人にむける度胸がない。そんな三重苦の溜息をついていると、暇そうな店長が話しかけてくる。いや、ごめんなさい、僕はひやかしなんです。それはみればわかるよ、私も若い頃は君と一緒だったからね。そうですか…。そこで、ものは相談なんだがね。そういうが早いか店長の口からは禍々しい黒い煙がふしふしと噴き出し、すっかりこわくなった僕は薄暗い中をなんとか入口に飛びつくと転がるようにして逃げ出すのだった。

 

030424-Thursday
フランク・アバネイルの長い旅

 いつまでも、そこに変わらずいて欲しいのに。みんな変わっていってしまう。
 ニューデリーはシェフがインドに帰って味がかわり、インダスはポプリさんに日本人の彼女ができたとかで店ごとなくなるし(その関連がよくわからない)、近所のあれは相変わらずカレーが冷えてるし、カレーとナンとチャイが美味しくて、一式まとめて千円で食べられるのはサムラートのランチだけになってしまった。

 渋谷センター街のサムラートで食べたあと、新玉川線で用賀に向かう。昔、住んでいた街だ。商店街をぬけたところにある小鳥屋でうちにいる小桜インコは買ったものだし、よく時間をつぶした書店は懐かしい匂いがする。せっかくなので何冊か買う。
 それから、とあるバイク雑誌の編集部に伺ってAさんと打ち合わせ。ライターの仕事をもらった。ライダーじゃないよ。仕事だ!めずらしい!どうやら今回、Aさんが人手が足りなくて某氏に相談したところ私が推薦されたのだとか。そういう人伝にほめられてるのを聞くのって嬉しいなあ。みると大人っぽい贅沢な雑誌で、今回の仕事も面白そう。いきなりライターが務まるのか、ちょっと緊張しつつもふたつ返事で引き受けた。頑張って原稿は書くので店頭に並んだら読んでみてください。

 さっそく下調べにかかろうと書店に行き、ところがそこでディカプリオ主演、スピルバーグ監督で公開中の「catch me if you can」の原作本「世界をだました男」(F.アバネイル)を買ったら、つい一気に読み終えてしまった。
 発掘した土器は実は自分で埋めていました、とか、そういう類の話がなぜか私は大好きなんだけれど。この本も天性の詐欺師が自ら書いた実話でありながら、善良な個人は騙さないという主人公フランクの不思議なモラルのおかげで楽しめた。ときに超一流の犯罪者のモラルというのは、一般市民のそれよりずっとしっかりしている。

 ※以下、ネタバレ注意。
 ニューヨーク郊外。裕福な文房具屋の息子としてフランクは生まれた。のちに稀代の詐欺師となる彼の最初のカモは実の父親だった。車を買ってもらい、女の子とデートの費用がだせないのに悩んだフランクは、父親に借りたモービルカードでタイヤを買ったことにして現金をもらうことを思いつく。カードの請求が届くまでの2ヶ月の間に14組のタイヤを交換して、フランクはカトリックの私立学校に送り込まれる。
 ところがその間に父親が仕事で失敗してしまい、フランクは郵便局員になった父の姿をみて暮らすうち滅入って、ある朝、自分探しの旅にでかける。銀行口座には200ドルしかないままニューヨークに家出をしたのだ。

 まず文房具屋に勤めたが最初の時給は1ドル50セント。子供のままではとても暮らせないと悟ったフランクは16歳の免許証を26歳に書きかえて仕事を探した。それでも生活費が足りなくなると小切手を切り、口座の200ドルは徐々に目減りして、あるときから不渡りと知りつつそれを切りつづけることになる。
 このままではいつか捕まって終わるだけ…フランクが悩みながら歩いているときのこと。彼がみかけた華麗な一団がその後の運命を決めた。それはホテルからワゴンに乗り込む航空会社のクルーの一団だった。自信に満ちたパイロット、華やかなスチュワーデス達、活気にあふれた彼らの姿をみているとフランク脳裏に大胆な考えが思い浮かんだのだ。
 フランクが興奮しながら歩いていると目の前にのしかかってくるようにあらわれた巨大なビルディング。それは不運にも世界でもっとも高くつくパイロット(それも飛行機を操縦できない)を雇うことになる会社、パンアメリカン航空の本社ビルだった。
 一晩寝ないで考えたフランクは電話帳で調べてパンナムに電話をする。「けさ八時にこちらに飛んできたんですが(中略)実はですね、誰かに制服を盗まれたんですよ。」

 パイロットのふりをして、世界中の飛行機のコックピットに入りこみ、時に操縦桿を握り。各地で恋人をつくって、ある時には本気で惚れた子の実家に招待されて…とうとう彼女に自分の本性を明かしてしまい、これからは真面目に文房具屋(それはフランクが唯一考えられる実業だった)をやろうと思う!と言ってパトカーを呼ばれたりする。大胆にして、どこか憎めない。
 パイロットだけじゃない。その逃亡生活の途中にはハイスクール中退なのに医者になったこともあれば、法務官になって彼を追う司法長官のスタッフとして大胆にも法廷に立ったり。大学教授として生徒を教え持って人気を博したりもしている。ボロをださないため、フランクが専門知識の習得に費やす努力には読んでいて頭がさがる。おかげでどの職場でも仕事上の問題は起こしていないし、まわりの同僚からも好かれているんだから、それはそれでなにも問題ない気がしてくるぐらいだ。

 クライマックスは自分にクルーがいないのを(あたりまえだ!)物足りなくなったフランクが偽スチュワーデス一団をつれてヨーロッパ各国へ詐欺ツアーにでかけるところだろう。
 まずは大学にパンアメリカン航空の宣伝部からと偽って書類を送り、女子学生の一団をキャンパスで面接し、彼女たちをスチュワーデスとして勝手に採用して、8人分の制服を採寸までして作るという凝りよう。こうなってくると、そもそも生活のために詐欺をしてるわけではなくなってる。地下社会とはまったく無縁のまま、たったひとりでこんな愉快な芝居が打てるなんて。その方法がみえてないだけで、世の中にできないことなんてないんだな、と思った。

 そうして16歳から21歳までの間に全米50州のみならず、世界26ヶ国の警察に追われながらフランクが稼いだ金額は250万ドル。そして同じことのくり返しに倦み、詐欺が楽しくなくなっていることに気がついたフランクは引退を決意する。フランスの田舎町モンペリエに住処をみつけのんびり隠居にはいった。そして地ワインで太りはじめたところを、不運にも以前につき合っていたスチュワーデスが偶然みつけて密告されるのだ。
 逮捕後はフランス、スウェーデンで収監されて刑務所のハシゴ。その後、護送中に逃げ出し、また捕まり、また脱走し、またまた捕まる。

 本国で服役後、現在のフランク・アバネイル氏は詐欺対策コンサルタントとして騙した相手を顧客にまた各地で稼ぎながら妻子ともに暮らしているという。
 「実のところ、わたしは何も変わってないんですよ。わたしを犯罪に走らせた生理的欲求は今も存在します。ただ、そういう欲求を満たす方法で、法的にも社会的にも受けいれられるものを見つけただけの話です。わたしはいまだに詐欺師なんです…持てる才能を発揮する方法を変えたというだけで」
 傍迷惑な自分探しの旅というか、フランクの長い家出はそこでようやく終わったようだった。

 どれも呆気なく成功するのを読んでいると自分もちょっとやってみたくなる。偽造小切手もID証もネットワークでがんじがらめにされたいまとなってはもはや通じないだろうけれど、いまの時代だって人が制服を信じたり、小切手を取りだした封筒が本物なら中身も信じてしまうことには変わらない。私もひとつぐらい思いつかないかなーと、ちょっと考えてたら思いついた!  あまりにスケールがみみっちいのでただで教えてあげよう。

 まずコンビニでただのシンプル炒飯を買ってきてスキャンしたバーコードをシールにプリント。それを五目炒飯に貼ってレジに持っていくのだ。レジには「チャーハン」と品名がでるけれど店員さんがよほど詳しくなければ、叉焼やうずらの卵がはいっていても怪しまれようもない。こっそり上位機種にアップグレードできるのだ。
 でもこれ、コンビニでなく大手家電屋とかなら商品の種類も多いし、「研修生」なんて腕章をつけて商品知識がないことを自ら明らかにしてる時もあるので実用できてしまうかも…。アリバイ用に自分が買わない商品にもいくつか貼っておけば、もしそれが発覚しても「ひどい悪戯に巻き込まれてさも迷惑だ!」と逆切れの余地も出てくる。あらかじめダミーを誰かが買うのを見届けてからにすればますます安心だろうし…。いやいや、30年も前から使ってるバーコードシステム。もうなんらかの対策ぐらいされてるはずだ。(本気で挑戦したりしないでね。先生はみんなのことを信じていますよ!)

 

030422-Tuesday
アジャンタと心の平穏にむかう道

 机のうえに一口ぶん残って冷えてるコーヒーを飲む。そのあと冷蔵庫に残っていたシーズキューブのケーキで朝食に。昨夜、家族4人でぎこちなくハッピバースデーを歌ったことなど思いだして赤面。兄弟あわせて45歳…などと愚にもつかないことを考えながらちゃんしたコーヒーをいれ直す。なんだか気がつくとコーヒー以外の飲み物を摂ってない日があるなあ。

 一日が終わるのが切なくなって、とりあえず英語でも身につけよう、と今夜から英語の勉強をはじめた。といっても話題の「えいご漬け」を買ってきてやってるだけなのだけれど。でもまたどうしてこんなことを唐突にしているのか胸に手をあてて考えてみると、こないだ汐留の電通ビルのとこのアジャンタでカレーを食べていたら、触れたら指が斬れるんじゃないかというほどぱりっとしたスーツを着こなした同じ年頃の電通社員の男女が隣のテーブルについて「最近?オフの日は、語学…かな。君はどう?」みたいなことを言い出して圧倒されてるうち、なんだかカレーの味がよくわからなくなってしまったことが大きいように思う。やい、カレーを返せ!

 えい、やあ、しかしここはそんなカレーへの力を語学の力にかえるのだ。このソフト、ヒアリングして打ち込むたびにカシャカシャと気持ちいい音がするのでついつい時間が経ってしまう。それなりに単語も覚えているようで、だんだんいい気分になってくるのだけど…こんなことをしていて本当に英語力が身につくのだろうか。最後のステージまでクリアしたら、真の最終ステージとして六本木にでもくりだしたい。

 英語のお勉強をしているとKから電話。学生時代は色々な新刊から古本まで本を渉猟しては獲物をとどけてくれるという、いい書籍ソムリエだった彼だけれど、いまは会社員として香港で半導体を売っている。すっかり猟場にも不自由していて新刊に飢えているようだった。オンライン書店で海外発送という手もあるけれど送料が高くて、制限20キロに目一杯と手荷物で持っていけば飛行機で私が運んでいくのと荷物を送るのといい勝負なのだという。
 それなら時期が時期でなければ本を目一杯届けてやりたいところだけど、どうにも向かいのマンションで感染者がひとりでたよ、とか言うので気がのらない。自分の抵抗力のなさには自信がある。身も心も無抵抗主義者。左の肺がやられたら、右の肺もさしだすに決まってる。
 それじゃ読んだ本からそのうちに送るよう、と適当に誤魔化して。2時間ぐらい話したところで電話を切った。ちゃんと自炊をしてるようでこれからタコスを焼くとか言っていた。もう寝る。

 

030421-Monday
でも、テーブルの料理を双方向性メディアの有料コンテンツと言うと喉を通らなくなるね。

 松尾スズキさんの「ギリギリデイズ」を読んでいた。この本はおおむね、松尾さんがお酒を飲んでいるか、睡眠薬を飲んでいるか、仕事に疲れて愚痴っているかの前向きな日記なのだけれど、その中に自分に届いたメールの文章を罵倒する一節があって耳が痛かった。
 『こういう距離感のない言葉遣いがネットで文章を公開する奴特有の『不細工さ』だと思う。俺と会話したいなら『分析』しようとするなよ。『分析』しようとするなら、その分析で金がとれるくらいのクオリティーで書いてきなさいよ、と思う。リスクのない場所での議論になんの価値があるのか。(以下略)』
 とても乱暴にみえて、それはナイーブでやさしい文章だった。手をつなぎたければ、相手の手の届くところにこないと駄目だよ、と教えてくれているようなものだった。

 ネットでの言論には匿名性があって、誰でも書けて、無料のメディア…まるでトイレの壁みたいな場所だから基本的にまともなものは根付かないという極論もあれば、言葉のカラオケボックスみたいなものだろとクールに言い放つ人も、スポンサーや社会的な権威とは無縁、完全な自由から生まれた新時代の町人文化だともいう人もいる。でもまあ、できてしまったものをなかったことにできないんだから、それについてどうこう言ってもはじまらない。自分のことだけみんな自分でなんとかするんだろう。

 ネット、舞台、テレビや本といったメディアの違いについて考えてみると興味深い。こういったすべての表現は受け手の「時間」という限られた陣地を奪いあってるといっていいけれど、それぞれの事情や戦法はだいぶ異なっている。私は料理だってメディアのひとつと思っているのでカフェやレストランもこれに加えて考えているけど、音楽でも陶芸でも、他に好きなものがあれば好きに加えて考えてもらえばいい。
 比較すると興味深いポイントは3つ。価格、複製の可否、方向性だ。

 無料なのはテレビ、ネット、草野球。
 有料なのは本や芝居、映画、音楽、ライブ、レストラン。
 複製できるのはテレビ、ネット、音楽、本や映画。
 複製できないのは芝居やライブ、レストラン、草野球。
 双方向なのはレストラン、芝居、草野球など、ライブ性のあるものは殆どそうで、
 一方向に近いのは本、テレビ、映画。
 あとで理由は書くけれどネットもあえて双方向性を捨ててることがある。

 この組み合わせによって、メディア(というより、こうなると情報と空間と時間のありかた。)のおおよその性格は決まってくるのだと思う。
 まず複製できない、ということについて。それを享受できる人数が限られてしまうということで、どれも単価は高くなりがちだ。一人あたりのコスト負担も高くなるし、欲しがるひとが多ければ奪い合いになるので価格はつり上がる。本マグロの限られた一部分。ひとりのシェフにしか作れない料理。芝居の最前列センター席。でも、こうなると本当に欲しい人しか手をださない。
 松尾スズキさんレベルの芝居ともなれば1万円余りを払って足を運んでもらって、役者はそこにちゃんと風邪もひかずに待機して、相手を満足させて帰さなければ次はない…ということで作り手も大変だけど、受け手だってハズレを掴んだときのダメージがあってけっこう大変なのだ。

 逆に複製できるものは安くすることが可能だ。受け手が多いほどに安くできるので本や映画やテレビは商品としては誰もが楽しめる大衆性があることが求められる。とくにテレビは枠が限られているのでその傾向がとてつもなく強いし、高い視聴率を後ろ盾に広告という形にして費用をスポンサーに負担してもらうことで受け手のコストをさらに下げて、とうとう完全に無料であれだけのものを毎日流している。作り手は大変だけど、受け手は部屋で寝転がっていればいくらでも番組が観られて努力することはなにもない。それってよく考えるとすごいことがおきている。

 作り手としては芝居は劇場の座席分の人に足を運んでもらう努力が必要で、テレビは何千万人のスイッチを切らせないために努力が費やされる。どちらも似ているようにみえて求められるものはちょっとばかりかわってくる。
 ここまで読んでお気づきだろうけど、私はあまりテレビをみないし、時流に乗り損ねてるコンプレックスがあるので、どうも不公平に書きがちだ。舞台と客席の距離がたまらなく好きだし、テレビなんて酷いときはどこかの遠くの高いビルの上から動物の群れを相手に電波を照射されてる気分になる。才能と予算が足りない番組は注目させるためにすぐ奇声をあげてみたり、うまそうな餌を大写しにしてみたり、裸の雌をちらちらみせてみたりしている。
 それについて山本夏彦さんは著書でテレビの悪弊といわれるものは、1時間100円でも身銭をきらせるようにすればすべて解消する、と書いていた。それぞれの趣味を追求した番組制作が可能になるペイパービューの発想だ。でも実際はスポンサーの商品を買うときにテレビ代が含まれているようなものなのだから。自分で直接支払うとしたら観ない番組を、人に立て替え払いをしてもらって観ているというのは正直、へんてこなシステムなんだ。
 だからテレビ放送はサービスの完成度が高く、資金と才能が結集しているというのに、そのテレビに毎日でているような役者さんでも忙しいスケジュールを縫うようにして舞台や映画の仕事をしたがる人がいるんだろう。

 そして有料であるということと、双方向性が維持できることは大きく関係している。村の碁会所みたいな枯れた例外はあるにしても、たとえば格安の芝居や無料の素敵カフェというのは考えづらい。テレビと同じようにタダなら観るか、と通りすがりにやって来たひとたちで客席が埋まっていては芝居は盛り上がらないだろうし、相手が集中してないと伝わらない言葉なんて使えない。千円を払ってもここでコーヒーを飲みたいと思う人だけが集まるから、お洒落なカフェの客層はドトールと住み分けができている。自分が好きなもののためなら、人は頑張れるのだ。どうしても無料のコミュニティーは愛情が足りなくなって荒れてしまう傾向がある。有料であることで作り手のサービスの質がもとめられ淘汰がおきるというのはわかるけれど、受け手についても実は同じ事が求められていたのだ。
 それは、金なら払うから、という野暮があらゆるコミュニティーで嫌われる所以でもある。本当はお金じゃない淘汰圧が働いているのに、それに気付かない鈍感さがあらゆる世界を愛のないキャバレー日の丸に堕落させる。

 さておき。そうすると、よくネットの特徴といわれる双方向性や匿名性や無料といった点はそのままでは相性がよくないように思える。それはデータベース企業や、会員制をとる趣味のサイト、便利なポータルサイトが視聴率のようにPVを競ったりするのをみていれば薄々と気がつくことだけれど。そういう側面はネットビジネスの本でも読めば書いてあるのかもしれない。どれも生活を便利にしてくれるけれど、あたらしい立ち位置はそこにはない。
 あたらしく生まれた面白さ、というのはいままで商売にならないかたちの、つまりパッケージとして流通しようがなかったものがネットワークの力で流通するようになった部分を調べることでみつかると思うのだけれど、それはちょっと価格・複製・方向性の話とはかわってくるので、またいつか考えるかもしれないし考えないかもしれない。悪いこととはおもいつつ、いつも3行先のこともわからないまま書いてしまう。ごめんね。いつも苦労をかけるよ。

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シルチョフ・ムサボリスキー
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