青い国へ。

 

 

 毎日、汚いものばかり見続けていると時々美しいものを目に映したくなる。発作的に逃げ出したギリシア田舎町の青空の下では筋肉質の男が蛸を岩肌に打ち付けていた。繊細とは言い難い調理法。男というシンプルな性が健康的に成育するとこうなる。硬そうな上腕、吹き出物とは無縁な焼けた肌、汗を吸い取ったシャツをその場で乾かす太陽光線。私はふわふわした現実感を味わいながら、アリストテレスの時代から二千年を越えて眺めている傍観者の気分になっていた。

 オリーブの木陰の石壁を見つけて、アコーディオンプリーツが汚れるのは気にせず腰を掛けた。私はベネトン透明水彩をエビアンに溶く。チントでない本物のコバルト。画材のお金なんて気にする事もない。時間を気にすることもない。何を描いても構わない時、純白の紙は私を自由にする。絵の描けない人にとって白紙とは自由どころか強迫でしかないのだろう。水張りをした用紙に向かって最初の筆を走らす。おどおどと薄く溶いた背景色で下線を入れる事もあれば、原色でくっきりとした線を引く事もある。若さを人が眺めるのと一緒で、その可能性も上積みして白い紙は輝いてみえる。色を重ねるほど紙はくすみ、そして全ての色が混ざった地点は汚れきって何一つ反射しない暗黒。同じ一枚の白紙に何が描けるのかは常に変化している。最初の線の具合によって次の線は有機的に呼吸し、絵の具の溶き加減や筆の疲労具合。再び再現出来る事なんて何一つない。経験と技術だけで確率を操って絵を仕上げる。絵を描くとは白紙の膨大な可能性を潰す行為だ。

 コンポーズよりも青い。果てもなく彼方の水平線で海と混ざりあう回青。削り取って磁器の顔料にしたい空。東京より空気が澄んでいるのだ。気温に体が怠くなる前にタベルナに行って午後は胡瓜に蜂蜜、ヨーグルト。メロンに生ハムを食べながら涼もうと思う。そんな計画に意識をとられて気の緩んだ瞬間。間違って真っ赤な筆をとって私は空に触れてしまった。単純なミス、小さな雑貨商の看板の色だった筈の赤が空一面に広がったのを見上げる。一文字に切り裂かれている。その滲んだ傷口の深さを前に私は絵を捨てた。

 

 

 

>>INDEX

Copyrights 1997-2003,Silchov.M
shasho-san@hinden5.com
www.hinden5.com